京都には古くから独自の風習・会話表現・言葉があります。
特に会話表現は独特で、京都の方のお宅にお邪魔した際、
「まぁまぁ、ぶぶづけでもどうどす…?」
と提案されると、
「遠回しに“帰れ”ということかな?」
と思ってしまいませんか?
これは、かの上方落語でも話されるエピソードで、この“ぶぶづけ”話は一般的にも広く知られています。
しかしながら、実際、ぶぶつけを勧める京都人の言葉の真意は一体何なのでしょうか…?
今回は、「ぶぶづけ」の言葉の意味から、表現の核心まで色々と調べてみました!
「ぶぶづけ」と「お茶づけ」の違い
「ぶぶ」とは“お茶”という意味で、「ぶぶづけ」とはそのまま「お茶づけ」という意味です。
舞妓の世界では、「茶(をひいて飲むこと)は暇」というネガティブな意味をもちます。
ですので、“ふーふー”して茶を飲むから派生してお茶を「ぶぶ」と言うようになり、
京都では、「お茶づけ」のことを「ぶぶづけ」と呼ぶようになったそうです。
ですので、「ぶぶづけ」と「お茶づけ」は同義語で、
「ぶぶつけ」とは言うのは割とご年配の方が多く、
ご年配の方以外は「お茶づけ」と言うことが多いそうです。
ぶぶづけ話は、上方落語由来?
上方落語に「京の茶漬け」というお話があります。
浪速の商人が京都の知り合い宅を訪ねた際、そこで昼飯が出てくるまで居座り続け、
知り合いの妻は仕方がなく、なけなしのお茶漬けを商人に出した。
商人はおかわりをするべく、空になった茶碗を知り合いの妻に見せつけたが、
それに対して知り合いの妻は、空になったお櫃をその商人を見せつけ、帰ってほしい意思を示した・・・
というお話です。
つまり、「ぶぶづけを差し出すことは客を帰らせる手段であった」という認識は、
この上方落語の話から広まっていったかもしれません。
また、メインの料理ではなく、米とお茶さえあればできる「お茶づけ」は、
手間隙かけずに相手に出すことができる食べ物であることから、
ぶぶづけを出すというイメージが、更にネガティブになった要因の1つかもしれません。
「ぶぶづけ」を勧められるのは“嫌み”なの?
一般的に、「お客にぶぶづけを勧める」イコール「お客を帰らせたいとき」として認知されていますが、真意は真逆で、
「あなたとの時間が楽しかったので、もう少しここに居てほしい。」という意図があるそうです。
古くから、“本音を言わないのが美学”とされている京都では、
「帰らないで」と直接的な表現をするのは、ぶしつけだと考えられています。
ですので、お酒の後に出されるお茶づけを例にあげて、
「楽しい宴の席であったけれども、〆のお茶づけを出すからもう少し長居してほしい」
というように間接的表現になったと言われています。
つまり、「ぶぶづけ」を勧められることはむしろ相手に対して好意的なことを示しており、
思いやりの精神においてのお心遣いがあることだと、前向きに捉えるのが最適解のようです。
実際に「ぶぶづけ」を勧められたらどうしたらいいの?
現代では、「ぶぶづけ」という言葉自体もあまり使われず、
実際にお宅訪問で「ぶぶづけ」を勧められることは滅多にないと言われています。
ですが、もしも京都の知り合いのおうちで「ぶぶづけ」を勧められたらどうしましょう?
結論から言うと、『美味しくいただきましょう』!!
「美味しい宇治のお茶を使ったお茶づけに、京都ならではの美味しい漬物があるから!」っていう冗談はさておき…
上記の章でも述べた通り、相手の好意として捉えたほうがその後の関係がうまく成り立つ場合の方が多いからです。
また、万が一、「帰ってほしい」という真逆の意図であったとしても、
相手が京都人であるならば、かの上方落語のオチにあるように、また違った言葉の表現で相手からアプローチしてくることでしょう。
ですので、ここは相手のご厚意に甘えて、美味しいぶぶづけをいただきましょう!
まとめ
まとめると、「ぶぶづけ」は京都の言葉で「お茶づけ」のことを指し、
“帰れ”という皮肉表現ではなく、“もう少し長居してほしい”という好意的な表現であることがわかりました。
この表現は現代的ではなく、実際会話のやりとりでも滅多に出てこないそうですが、
今後、もし、「ぶぶづけでもどうどす?」と言われたら、遠慮なく食べて帰るようにしましょう。