西武ライオンズで活躍したトニーフェルナンデスさんが、日本時間の2020年2月16日にアメリカの病院で亡くなったと報じられました。
フェルナンデスさんは57歳という若さでお亡くなりになりました。重度の肺炎と腎臓に問題を抱えていたとのこと。1月末には昏睡状態に陥っていたそうです。
ご冥福をお祈り申し上げます。
日本での活躍を振り返り、フェルナンデスさんの経歴・奇人伝説や帽子で起こった珍プレーなどをまとめました。
トニー・フェルナンデスのプロフィール
- 1962年6月30日生まれ
- 2020年2月15日(57歳没)
- 国籍:ドミニカ共和国/アメリカ合衆国
- 身長185.4cm/体重90.7kg
- 投球・打席:右打両打
- ポジション:遊撃手・三塁手・二塁手
元西武のフェルナンデス氏が死去 大リーグ通算2276安打https://t.co/6pQzViWrkf
プロ野球西武でもプレーした元内野手のトニー・フェルナンデス氏が死去したと15日、複数の北米メディアが報じた。57歳。腎臓病や脳卒中を患っていたという。 pic.twitter.com/GMeA2d84wl
— 猫助 (@NekoSuke5_4) February 16, 2020
フェルナンデスさんはドミニカ共和に生まれました。二重国籍のため、アメリカ合衆国にも国籍を持ちます。
敬虔なクリスチャンであり、本塁打の後に神に感謝する仕草も見られました。禁酒禁煙でもあり、西武ドームのベンチ裏の灰皿が彼に配慮して撤去されたこともあります。
トニー・フェルナンデスの経歴
1983年(17歳)にトロント・ブルージェイズでメジャーデビュー。通算2276安打という打撃と俊足、攻守で活躍しました。
1986年~1989年で4年連続でゴールドグラブ受賞。
オールスターゲームにも5度選出されています。
2000年に西武でプレー。西武との契約金は年俸3億3,000万円の1年契約。37歳という年齢でありましたが、リーグ4位となる打率.327という記録を残しました。
38歳という年齢のため、1年で自由契約となりましたが、「ライオンズに無いものを持ってきてくれた」、と当時の西武オーナー堤義明は感謝の気持ちを示していました。
選手歴
- ガスト・フェルナンド・デ・リグネ高等学校
- トロント・ブルージェイズ (1983 – 1990)
- サンディエゴ・パドレス (1991 – 1992)
- ニューヨーク・メッツ (1993)
- トロント・ブルージェイズ (1993)
- シンシナティ・レッズ (1994)
- ニューヨーク・ヤンキース (1995)
- クリーブランド・インディアンス (1997)
- トロント・ブルージェイズ (1998 – 1999)
- 西武ライオンズ (2000)
- ミルウォーキー・ブルワーズ (2001)
- トロント・ブルージェイズ (2001)
(引用元:Wikipedia)
トニー・フェルナンデスの奇人伝説
フェルネンデスさんは試合中に大きな帽子とヘルメットを浅めにかぶる癖があり、試合中に帽子を飛ばすことが度々ありました。
走塁中にヘルメットが脱げた際は、剥き出しになった後頭部にボールが直撃し、悶絶したエピソードもあります。
このシーンはプロ野球珍プレー・好プレー大賞によく使われていました。
福岡ドームでは、トレーニングルーム備え付けのマウンテンバイクを勝手に持ち出して外で乗り回したり、何かと話題に上っていました。
西武の優勝争いの際に、兄の不幸で帰国を優先し、すぐ帰国したエピソードもあります。
一見自分勝手ととらえられそうなこともありましたが、常にチームのことを考える人望者だとチームメイトからの信頼は厚かったそうです。
練習でも奇人ぶりも発揮。巨大ボールを両手に抱えて横に放り投げる、ノックでわざとトンネル・・・などユニークな練習で周囲を唖然とさせていました。
不振で悩んでいたときは、遠征中の球場に工事現場にあったくい打ちハンマーを使って素振りをし、その日の試合で猛打賞を勝ち取ったことも。後々そのハンマーを譲ってもらったという逸話もあります。