白洲次郎(しらす じろう)の経歴・妻や子供について。そして男前で端正な顔立ちからハーフなのでは?という噂も画像で検証してみます。!
2020年2月にテレビ東京で『アメリカに負けなかった男~バカヤロー総理 吉田茂~』が放送されます。
吉田茂の片腕として日本の独立復興のために尽力した白洲次郎が登場。
- 日本の独立回復に尽くした!
- 超イケメンで高身長!
- 家族は妻・正子と2男1女!
- ハーフの噂はイギリスから・・・
日本で初めてジーンズをはき、「日本一カッコいい男」と呼ばれ、注目を浴びている白洲次郎。
戦前は近衞文麿首相のブレーン、戦後は吉田茂首相の側近となって政治の中枢にいた昭和史の鍵を握る人物。
その生涯は歴史の闇の中に埋もれたままです。
知られざる白洲次郎の経歴、ハーフの噂の検証結果もご覧ください。
白洲次郎の経歴・妻・子どもについて
白洲次郎のプロフィール・経歴
- 1902年2月17日生まれ
- 兵庫県芦屋市出身のちに東京都町田へ
- 1985年11月28日(83歳没)
- 身長175㎝/体重65kg
- 妻:白洲正子
- 長男:春正
- 二男:兼正
- 長女:牧山桂子
- 職業:貿易庁長官・内閣総理大臣秘書室
白洲次郎は見ての通り、とてもイケメン!83歳まで生きた、彼の生き方をまとめました。
この時代に生きた人とは思えない、エピソードが多くあります。
- 高校時代はサッカー部・野球部に所属(やんちゃな不良)
- 当時の白洲家には、謝罪用の菓子折りが常備
- 少年時代からアメリカ車乗り回していた車好き
- 高校時代の成績は中以下。彼女は宝塚歌劇団の生徒
- 白洲家に寄宿している外国人女性教師(神戸女学院)が寄宿し、英語を学ぶ
- 高校卒業後、イギリス留学(ケンブリッジ大学)その後大学院進学
- イギリスで車にはまり、レーシングカーや3リットルといった車をのりまわし、ヨーロッパ大陸旅行も実行
- 【27歳】英字新聞『ジャパン・アドバタイザー』で記者に。同じ年に妻正子と結婚⇒父から贈られたイタリア車で新婚旅行へ。
- 【29歳】高卒ながら、親のコネでセール・フレイザー商会で取締役
- 【35歳】日本食糧工業(のちの日本水産)で取締役
- この時期より海外に商談に赴き、駐イギリス特命全権大使であった吉田茂と出会う
- 【38歳】東京都町田市の古い民家を購入し、武相荘(ぶあいそう)と名付け、農業に励む生活をスタート
- 実はコネをつかって徴兵逃れをしている
- 【43歳】外務大臣に就任した吉田茂に懇請され、終戦連絡中央事務局(GHQとの折衝を担当)の参与に就任。
GHQの要求に、イギリス仕込みの英語で主張すべきことを強く主張。『アメリカに負けなかった男』と言わしめた。
この辺りのことがドラマに!白洲次郎を生田斗真さんが演じます。
続いて、白洲次郎の家族について、妻「白洲正子」と長女「牧山桂子」についてご紹介します。
白洲次郎の妻「白洲正子」
白洲次郎の妻【白洲正子】(しらす まさこ)さんは1910年東京生まれ(1998年没)。4歳から能を習い始め、14歳で女性で初めて能の舞台へ立ち、米国へ留学。
1928年に帰国し、翌年白洲次郎とお互いに一目ぼれして結婚したそうです。
随筆家としての著書は、『能面』『かくれ里』『日本のたくみ』『西行』など多数。
白洲次郎の長女「牧山桂子」
白洲次郎の長女【牧山桂子】(まきやま かつらこ)さんは、1940年東京生まれ。2001年10月に東京鶴川の旧白洲邸「武相荘」を記念館として開館しました。
普通の親とは違うと感じていた両親のエピソードなどを交えた著書があります。
【著作】
- 『次郎と正子 娘が語る素顔の白洲家』
- 『白洲次郎・正子の食卓』
- 『白洲家の晩ごはん』
ハーフの噂も画像で検証!
白洲次郎は、イケメンだったのは納得。ハーフに違いない!?という噂は?
もう一度顔写真を確認♪
顔を見る限りは、外国人の血が半分入っているのか、いないのか・・・微妙ですが・・・
白洲次郎はハーフではない。
両親ともに日本人(両親:白洲文平・芳子)です。
では、なぜハーフかもしれない、という噂が流れたのか。
それは、白洲次郎がイギリスにいたときに彼の面倒をみた男”ジグムント・ウオーバーグ”が関わっています。
なんと白洲次郎の父の会社「白洲商会」が倒産したとき、次郎はジグムント・ウオーバーグにケンブリッジ大学の学費を出してもらい、面倒をみてもらっていたのです。
白洲次郎は『ジャパン・オブザーバー』という雑誌社の編集員をしていました。そして書いた記事にはジョン・シラスと書いていたようです。
そこで彼はジョン・シラス・ウオーバーグとして、つまりジグムント・ウオーバーグの息子として存在していたのではないかと噂されていたようです。
写真を見る限り、その当時の一般的な男性と比べて長身・痩せ型、イギリス留学で紳士の嗜みを身に付けた、素敵なスーツが西洋文化に通じてる・・・などの点でもしかして?と人々が思ったようです。